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書簡 バンヴィル宛 1870

  シャルルヴィル(アルデンヌ県)1870年5月24日

テオドール ドゥ バンヴィル様へ

 親愛なる先生、

 ぼくたちは毎月恋のただ中にいます。ぼくは17歳です(注: 実際は15歳)。いわゆる希望と空想の年頃です。―そしていまや、ミューズの指に触れられた子どもであるぼくは、― それが陳腐ならお許し下さい、― ぼくの正しい信念、希望、感動の数々、これら詩人に関するすべての事柄を、― ぼく自身それを春と呼びますが、― 語り始めました。
 ぼくがそれらの詩の幾つかをあなたにお送り致しますが、― それは優れた出版者である、アルフォンス ルメールを通してのことですが、― そうしましたのは、ぼくがすべての詩人たち、すべての優れた高踏派たちを愛しているからです、― と言いますのも詩人とは高踏派であるからです、― 彼らは理想の美に熱中しています。また、そうしましたのは、ぼくがあなたに、極めて率直に、ロンサールの子孫、1830年代の巨匠たちの兄弟、真のロマン派、真の詩人を認めて、お慕い申し上げているからです。以上が理由です。― 軽はずみでしょうね、でも、それでも?. . .
 二年後に、いやたぶん一年後には、ぼくはパリにいます。― ボクモ、新聞記者の皆さん、ぼくも高踏派になるんです! ― ぼくにはわかりません、ぼくがそこに持っているものが. . . 何が込み上げようとしているのかが. . . ― ぼくは誓います、親愛なる先生、いつも二人の女神、ミューズと自由を熱愛することを。
 これらの詩をお読みになっても、あまり難色を示さないで下さい. . . あなたはわたしを喜びと希望で気も狂わんばかりにするでしょう、もし親愛なる先生が、詩Credo in unam に対して、高踏派たちの間に小さな場所を作ることに同意していただけるのならば. . . ぼくは「高踏派詩集」の最新シリーズに現れるでしょう。それは詩人たちのCredoになるでしょう!. . . ― 野心! おお、途方もない!

                          アルチュール ランボー


          X X X

夏の晴れた夕暮れに、ぼくは小道を行こう、
小麦にちくちく刺され、小さい草を踏みながら。
夢想家のぼくは、両足に新しさを感じるだろう、
無帽の頭を風のなかにさらすんだ。

ぼくは話さない、ぼくは何も考えない、
でも無限の愛がぼくの心のうちに入ってくるだろう、
そして遠くへ、遥か遠くへ行く、ボヘミアンのように、
大自然のなかを、― 女と一緒のように楽しく。

                 20 4月 1870
                        A.R.




          オフェリア 

            Ⅰ
星たちがまどろむ、静かで暗い水面に
白いオフェリアは大輪の百合のように漂う、
とてもゆっくり漂う、長いヴェールに横たわり. . .
― 遠い森では、角笛の音が聞こえている。

千年以上の昔から、悲しみのオフェリアは
過ぎて行く、白い亡霊で、長く暗い川面に、
千年以上の昔から、彼女の甘い情熱は
そのロマンスを囁いている、夕暮れのそよ風に. . .

風は乳房に接吻し、花冠のように押し広げるのは
水でふんわり揺らされた彼女の大きなヴェール、
そよぐ柳の木々たちは、彼女の肩に涙する
夢見る広い額には、葦たちはお辞儀する。

気分を損ねた睡蓮は、彼女の周りで長嘆息、
彼女はときどき呼び覚ます、榛の木の眠る、
あるねぐらを、そこからはかすかな羽音が飛んで行く、
― 神秘の歌が金の星から降ってくる. . .

            Ⅱ
おお、青白いオフェリアよ! 雪のように美しい!
そう、君は死んだのだ、娘のままで、川に運ばれて!
― それはノルウェーの高い山から吹く風が厳しい
自由のことを君に囁いたので。

それは一陣の風が、君の豊かな髪をねじり、
君の夢見る精神に、奇妙な響きを与えていたので。
木の嘆き声と夜ごとのため息のなかに、
君の心が自然の歌を聞いていたので。

それは莫大な喘ぎ声のような海の声が、あまりにも
人間的で優しい君の幼い胸を打ち砕いたので。
― それは四月の朝、青白い美形の騎士の、
哀れな狂人が、彼女のひざの前に黙って座ったので!

天!愛!自由!なんたる夢か、おお、哀れな狂女よ!
君は彼にとろけていた、火の前の雪のように、
きみの大きな幻は、君の言葉を詰まらせた。
― 恐ろしい無限に、君の青い瞳は錯乱した!

. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

            Ⅲ
― 詩人は言う、星たちの光のなかで君は夜、
君が摘んだ花を捜しに来ると。
そして水の上で、長いヴェールに横たわる、
白いオフェリアが大輪の百合のように漂うのを見たと。

              15 5月 1870
                    アルチュール ランボー

         Credo in unam

. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

太陽、優しさと生命の炉である、
それは喜びの地上に、燃える愛を注いでいる。
(注:「太陽と肉体」とほぼ同様の詩が続く。以下省略)

. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

                29 4月 1870
                    アルチュール ランボー


 これらの詩は「現代高踏詩集」に場所を見いだすでしょうか?
 ― これらは、詩人たちの信念ではありませんか?
 ― ぼくは無名です、かまうものですか? 詩人たちは兄弟です。これらの詩には確信があります、愛があります、希望があります。それがすべてです。
 ― 親愛なる先生、どうかぼくに、少しのお引き立てを、ぼくは若いのです、お手を差し伸べて下さい. . .


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